18歳のつれづれ

清く、楽しく、美しく

大学受験をふりかえる

 受験。非常に嫌な響きである。嫌ではあるが、大学に行くなら誰もが体験しなくてはならない人生のビッグイベントだ。私はそんな人生の分岐点でもある大学受験を、この春、終えた。せっかくだから、記憶の新しいうちに受験を振り返ってみようと思う。

 

▼高1

 この時期、一般的な高校生に受験という雰囲気は感じられないが、私は受験モードだった。私立の中高一貫校でエスカレーター式に高校へ進学したため学力が他の進学校の生徒より劣っている自覚があったし、何より東大を目指していたからだ。

 勉強は、想像を超えてスムーズに進んだ。平日は毎日4~5時間、休日は8時間くらい勉強した結果、中の上だった成績が、一気に1桁になった。東大A判定もいつものことだった。まわりがやっていなかったから当たり前といえば当たり前であるが、それでも成績が伸びるのはとてもうれしいことである。先生にも発破をかけられて、ますますやる気が出た。リスク回避のため(後述)文系に進むことを決めていたが、生物や物理、数学でもトップを目指していたし、実際にトップだった。しかし、こんな華やかな勉強生活はさほど長く続かなかった。飽きた。飽きてしまったのだ。惰性でなんとなく勉強していたため、成績は一桁をキープしていたが、モチベーションは下がり気味だった。

 高1の終わり頃になると、やたらと進路相談が行われた。文系か理系かを選ぶ文理選択がせまるからだ。私は迷うことなく文系を選んだ。表面的には理科が嫌いだから、としていたが、本当は兄の失敗を見ていたからである。国立医学部を狙う兄はセンター試験の物理と国語と数学2Bで失敗して、結局医学部に落ちた。医学部というのはレベルが高いわりにセンター試験が二次試験に対して重視されるため、センター試験の失敗は命とりなのである。センター試験において点数の振れ幅の大きいとされる国語は文理ともに必須で避けることができないため、試験で失敗する可能性の高い物理や化学と暗記勝負の世界史を天秤にかけて、よりリスクの低そうな文系を選んだ。私は自分の合理主義的な考え方に一抹の不安を覚えつつ、ミトコンドリア相対性理論に全く好奇心をそそられなかったのも確かなので文系でいいか、と思った。

 

 

▼高2

 いよいよ文理がはっきり分かれたクラスとなった。文系は1組で、女子が多い華やかなクラスだ。ところで、受験業界では「文低理高」といわれる動きがここ最近のトレンドで、“数学の苦手な子”が避難場所として文系を選ぶことが多々あるため文系のレベルが必然的に下がっていく一方、医師免許をはじめとして資格を取りやすいため理系人気はすさまじいという状況にあった。ほとんどの進学校においてはリケジョなど特別珍しくもなく、私の学校でも女子の半分は理系だった。このような状況下でテストのクラス別平均点を見ると、文系クラスはずば抜けて低かった。どの教科も、圧倒的に。負けず嫌いな私は文系のレベルが低いといわれているように感じ(実際そうなのだが)、悔しくて、5月ごろから勉強のギアを一段上げた。ここにおいて私のモチベーションは再び上昇気流に乗ったのだ。

 ・・・・・・しかしながら、人生には予想外の出来事がつきものである。上昇気流が巻き起こったのも束の間、高2の秋に乱気流が発生した。何を隠そう、ジャニーズにはまってしまったのだ。きっかけは、キスマイbusaiku!?という、女子高生人気no1(私調べ)バラエティーだった。ジャニーズなのにブサイク売りなんて卑怯だ、くらいに思っていたのに、番組を見たら空気を作り出す天才の藤ヶ谷君にころりと堕ちていった。しかもものすごく間の悪いことに、友達のイモト(仮称。珍獣ハンターイモト似の女子陸上部キャプテン)も同時期にキスブサにはまり、あろうことか藤ヶ谷君を好きになってしまったのだ。実生活なら同じ人を好きになったら僻み妬みで友情は夏のカキ氷みたいにさーっと溶けていくだろうが、ジャニーズという永遠に結ばれることのない対象においては同じ人を好きになったことでむしろ友情は深まり、「好き」が加速してしまった。これまでジャニーズに1mmたりとも興味がなかった私はジャニーズの楽しみ方をよく知らなかったため手当たり次第動画を見た。(藤ヶ谷君のソロ曲love meeeを視聴覚室でイモトとこっそり見たときの興奮は、この先一生忘れられないだろう。)日に日にキスマイの動画に費やす時間が増えていった結果、成績は徐々に下がっていった。この時点で、成績はぎりぎり一桁くらいである。

 

 

▼高3

名実ともに受験生。受験が終わった今ですら、思い出すと胸が苦しくなるくらい、徹底的に辛かった1年間であった。季節ごとにまとめてみた。

 

春~受験生のはじまりは、逃避のはじまり~

 まずは、予想外に東大受験生が増えていた。文系クラスでは私のほかに親友のかよこ(仮称・大久保佳代子似の優等生)と男子数名だと思っていたが、まあまあ仲の良かった女友達がいつの間にか東大志望にかわっていた。東大は何千人も受けるのだから数人受験者が増えても自分になんら影響はないと頭では分かっていても、やっぱり焦った。焦燥感に駆られた末に私のとった行動は最悪で、キスマイ動画漁りという現実逃避だった。(どうでもいいが、このころからキザな藤ヶ谷君より情熱の北山君が好きになっていた。)

 5月になると、4月に受けた模試が返却されていく。衝撃の、E判定。(成績は落ちてもたぶんC判定だろうな~)と高を括っていたのに、まさかの結果だった。こんなにも早く成績が落ちることにショックを受けた。“成績上位”を自負していたが、もはやこの成績では上位とは言えないのではないか。様々な思いが駆け巡った。同じく東大志望だったかよこがA判定だったことでさらにショックは増し、結局勉強はあまり手につかなかった。この頃はキスマイファンの書くアメーバブログにはまり、毎日大量の北山君や他のキスマイメンバーの写真を眺める日々を送った。

 

初夏~失われた青春を求めて~

6月には高校最後の文化祭があって、クラスでクレープ屋をやった。クリームや生地の発注からシフトの決定、内装のデザインに至るまで全て代表である私の責任で、最高に忙しかった。けれども最高に楽しかった。今思えば、帰宅部で「行事?だるっw」って感じのスタンスをずっと貫いてきた私はどこかで(こんな青春でいいのだろうか)と思っていた節があって、そんな自分に対する罪悪感のようなものを晴らすため、しゃかりきに、必死に見えるほど文化祭を楽しんだんだと思う。この時から一年も経っていないけれど、青かったな~と少し微笑ましく感じる。

 

夏 ~天王山八分目~

 7月終わりから8月いっぱいは、夏休みだ。受験の天王山とよばれる、夏休みだ。

 忘れもしない夏休み初日の勉強時間は、7時間だった。東大受験生としてはかなりお粗末な数字である。私は学校の自習室を使っていたのだが、7時間という数字はこの自習室にいた時間そのもので、つまり私は午後5時以降の家での勉強時間は0だった。夏休みはキスマイとある意味対照的なビジュアル売りのSexy zoneと、個性あふれるジャニーズジュニアにはまっていた。夏休み初日に「初日ですら勉強できない自分」を知ってしまった私は嫌な予感がしたが、予感は的中してその後もやっぱり8時間くらいしか勉強できなかった。個人差はあるけれど一般的にMARCHを第一志望とする人の勉強時間の目安がこのくらいだと思う。私は一般的な東大受験生の8割くらいしか勉強しなかったことになる。もちろん危機感を感じていたけれど、もはや「勉強してないからできないんだ」というのが一種自分の精神安定剤のようになっていたので、なかなかこの状況を脱せずにいた。

 そうそう、8月の終わりには東大模試があった。ほとんど東大の問題なんて解いたことがなかった私は惨敗だったけれど、なにせ解いたことがないから自分でもどのくらいヤバいのかはこの時点ではちっとも分かっていなかった。

 

秋 ~焦燥の果てに~

 夏の時点で所謂「勉強が手につかない」状態(勉強しないことが精神安定剤となっていた)だったが、秋になると症状は悪化した。もう10月、センターまで3か月しかない!!!!という焦燥感に夏の東大模試がD判定だった絶望感が加わり、私は静かにパニックに陥った。もう浪人でいいや、と毎日心に決め、自堕落な日々を送った。学校の自習室には足が向かなくなり、浪人生のファッションを調べ、行くこともできないのにディズニーランドのお土産をチェックしたりした。読者モデルのブログを読むのもそれまでは好きだったが、この頃になると大学生になった自分を想像することができなすぎて大半が大学生の読モのブログを見るのすら嫌だった。東大どころか早慶も無理、と思っていたので志望校を早慶に落とすこともできず、ただただ自己嫌悪に陥って毎日を過ごした。正直、死にたかった。私には兄が二人いるのだが一人は現役、もう一人は一浪して国立の医学部に入っている。優秀な兄に加え教育熱心な母、穏やかな父という典型的な「よくできた」家庭だった。早慶レベル以上の大学が“ちゃんとした”大学だとみんななんとなく思っていそうだった。愛されて大切に育てられた感があるがゆえに、プレッシャーを感じて、辛かった。

 

初冬 ~転機~

 秋は学校を休みがちで、さらに勉強をしていないため先生に添削を頼みにいくこともなく、職員室によりつかなくなったところ、私の家庭の事情をよく知る先生たちがものすごく心配してくれた。

 そして、担任の先生と面談した。冷静に話そうと決めていたのに、最近どう?という先生の第一声に答えようとしたら体中が熱くなって何も言えなかった。涙がぽろぽろとこぼれおちて紺色のスカートにじわりとしみた。そのあと嗚咽を交えながら勉強してない自分も、勉強ができない自分も、東大を目指すことに満足していた自分も大嫌いだと話した。先生は、怒りもしなかったし慰めてもくれなかった。ただただ、黙って聞いてくれた。それで、最後に「大丈夫、頑張れるよ」とまっすぐ目を見て言ってくれた。その一言で、本当に心が軽くなった。あの時「大丈夫、受かるよ」と言われていたら、たぶん私はそのあとも勉強しなかっただろう。

こうして、春から秋までの長い長いスランプから脱した。

 

冬 ~最強の開き直り~

 面談の直後くらいに、秋の東大模試が返却された。D判だろうと思っていたら、B判だった。なぜかよくわからないけど、成績が上がった。モチベーションも、上がった。

 しかし、モチベーションが向上したからといって勉強時間は増えていない。相変わらず8時間だったが、自分のベストが8時間なのかなと解釈することにした。絶対それ以上はできないのだ。ジャニーズWESTsexy zoneからシフトしました)のvineを1時間くらいは見ないと受験勉強なんてやってられない。日本国民には文化的生活を送る権利があるんだから、とテキトーな理由をつけて勉強をサボった。ここまで開き直ったため、精神状態は極めて良好であった。

 そして、迎えたセンター試験。全くといっていいほど、緊張しなかった。センター失敗したら、東大あきらめて私大に専念すればOKくらいに思っていたのだ。我ながら図太い神経である。その開き直りが功を奏したのか、東大に十分出願できるくらいの結果だったので、東大に出願した。秋の模試で成績上位者に名前が載っていた友達でセンターに失敗して東大に出願できないような子もいたので、本当に成績なんてわからないものだなと思う。リラックスするのが一番だ。

 2月に入ると私大入試が始まった。私は早慶上智すべてに出願した。まずは、受験日の早い上智大学からである。上智は正直あまり行きたくなかったが、そもそも上智に受かるかもわからないので、早慶の練習として受けることにした。実は、上智の入試が一番緊張した。先述の通りセンター試験の時は私大に専念すればいいや、と思っていたので上智の入試当日の朝に上智に落ちたら浪人一直線であることに気付いたのだ。それに加え過去問を全く解かずに行ったので、試験早々マークシート方式であることにびびった。一応得意教科のはずの英語が全然できず、ついでに数学もできなかったので不合格を確信したが、結局受かった。ほっとした。そのあとの慶應も受かって、早稲田は受けるのが面倒だったため受けなかった。

そして、東大入試も終わり、今は結果待ちである。

 

 

これが私の高校3年間の受験ルポである。

受験を通して学んだことは、開き直りは最高のスペックだなということと無理して長時間勉強しなくても慶應くらいなら受かるということだ。

ジャニーズWESTの重岡くんは「青春という青春をジャニーズにささげてきた」みたいなカッコいいこと言っていたけれど、私は青春を勉強にささげられたか微妙だ。でも、受験を含め高校生活はすごく楽しかったし、最初はものすごいスタートダッシュをきって最後にジャニーズにはまって勉強がおろそかになる中途半端さも最高に自分らしいなと思う。

大学に入ってもジャニーズに勉強にサークルに、楽しみたい。

(ちなみに、イモトとはキスマイのコンサートに行く約束をしている)